上智福岡中学高等学校

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2019年10月10日

2019カンボジアスタディツアーのご報告

学期の中間考査が始まっております。残すところ2日間、最後までしっかり取り組んでもらいたいと思います。

さて本校では毎年夏休みに高校生対象でカンボジアのスタディツアーを開催しています。今年で5回目となり、今回も多くの生徒が応募してくれました。応募してくれた生徒の中から13名が選ばれて、大変貴重な経験をしてきました。

参加生徒の感想文を写真と共にどうぞご覧ください。

「わたしの出会ったカンボジア」

まず始めにカンボジアに行く前のカンボジアについての印象について書こうと思います。カンボジアに行く前まではカンボジアについて授業での内容、また自分で少し調べた程度で実際にどのような国なのか全然知りませんでした。まして授業内容や調べた内容からは水上村や刑務所、ごみ収集から生計を立てている人のことしか知らず生活が日本に比べ不自由でマイナス的なイメージの方が大きかったと思います。しかし、実際にカンボジアへ行ってみるとカンボジアに対する印象は大きく変わりました。これから私がカンボジアに行って感じた3つのことについて書こうと思います。


1つ目はカンボジアで起こった内戦についてです。このツアーではトゥールスレン刑務所、キリングフィールド、戦争博物館に行きました。カンボジアの内戦ではたくさんの人が亡くなり子どもの頃から捕虜にされポルポト派に支配されていました。日本が経験した戦争は相手が外にいたため原爆が落とされた時、日本国民全員が被害者となりました。しかしカンボジアで起こった戦争は内戦だったので、国内に被害者と加害者がいました。戦争中は自分が殺すか殺されるか、つまり“人を殺してはいけない”という綺麗事は言えない状況でした。なぜなら自分が殺さないと殺されるから。そんな環境の中カンボジアの人々は暮らしていました。トゥールスレン刑務所では、人は嘘の告白をさせられました。紙に自分がしてもいない嘘の言葉を書かされ、それを書いたらキリングフィールドへ送られて殺されます。刑務所は外と中が鉄条網で隔離されていて逃走や外から助けることもできないようになっていました。つまりトゥールスレン刑務所は外の人たちにとって謎に包まれた存在だったのです。特に要注意とされる人物には個別の取り調べ室があり、刑務所が解放された時にそこにいた人はベッドに縛られたまま殺されていたそうです。その時の写真があり、顔は隠され、床には血が残ったままでした。そのような人たちを供養するための墓が刑務所に建てられていました。また収容された一人ひとりの顔写真も飾ってありました。この刑務所内でも最終的にはクメール・ルージュ同士が疑心暗鬼になり仲間同士を殺していたそうです。

キリングフィールドでは「罪のない人を殺すのは、敵を殺し損ねるよりマシだ」という言葉が心に残りました。クメール・ルージュの考え方がこの言葉に現れていると思います。最初はキリングフィールドに行ってもここでたくさんの人が殺されたという実感が湧きませんでした。でも骸骨などを間近で見るとひとりひとりの殺され方なども分かって、実感が湧かないと思っていた自分がとても申し訳なく感じました。実際にそこで殺されていった沢山の人が、人間として扱われなかったことについてなんと言葉にしたらよいのかわかりません。あの閉鎖的な場所に連れてこられた人たちはどんな気持ちだったのか想像がつきません。


戦争博物館にはたくさんの地雷が展示してありました。地雷は軽くするための工夫もされていますが、それ以上にどうやって踏んでもらうかということが考えられていて、その仕掛けは驚くべきものばかりでした。その奇想天外な発想をもっと別の場所で活かせたらどんなにすごいものができただろうと思います。また砲弾や銃弾は想像していたよりはるかに重かったです。あの重さの砲弾や銃弾の運搬を小さな子供や若い女の人がさせられていたなんてとても過酷な労働であったと思います。


「戦争は始まったら終わりがない」とJLMMのスタッフの辻さんは仰いました。戦争はたくさんの人の命を奪い、安心できる生活を奪い、それから先の人々の心に傷を作ってしまいます。その傷は一生人々に残り続けていくでしょう。また子供たちから勉強する場所を奪います。当時勉強の出来なかった子どもたちが大人になった今、勉強ができなかった人たちはどうしたら学ぶことができるのかわかりません。そのため子どもを労働力としてしか見ない親もおり、その家庭の子どもはまた学校に行くことができなくなってしまう。こうした悪い無限ループがずっと続いていくのです。戦争を始めることは簡単だが一度始めてしまうとたくさんの人の未来を強制的に変えてしまい、次の世代に強い影響を与えてしまうのです。

日本は終戦から74年を迎え、実際に戦争を体験した人は減ってきました。そんな中、私たちは絶対に戦争を起こさないために自分に何ができるのかを考えなければいけません。実際に戦争を経験していない私たちに何ができるのか、それは想像することです。自分の夫、家族、友人、大切な人たちが兵隊として戦争へ行く姿、離れ離れに生活をし、いつ死んでもおかしくない恐怖と戦いながら過ごす毎日を想像することです。そうすることが戦争を体験したことがない私たちができることなのかなと思います。


2つ目に感じたことはカンボジアの人たちの優しさです。このことはツアーの全体を通して感じていました。カンボジアの人はとにかく笑顔なのです。日本人は知らない人と目が合うと逸らしたり、笑いかけると不気味に思われがちですが、カンボジアの人たちは目が合うとニコッと笑いかけてくれるのです。プログラムで行った先々の人や車に乗って信号待ちをしている時、横にたまたま止まったバイクのお母さんなどたくさんの人たちがです。カンボジアの人たちの笑顔は心から笑っているように見えました。でもその笑顔の裏側には戦争が終わったからといって消えることのない身体的、精神的な傷が残っていたり、十分とは言えない衛生環境での暮らし、食べ物の栄養面など様々な問題がありました。しかしそのような問題があるからこそ、今を精一杯生きているのが伝わってきて、あの笑顔があるのかなと思いました。


3つ目は自分が成長したと思うことです。カンボジアに行って自分の考え方が変わったと思います。カンボジアに行くまでは、日本に住んでいる自分の生活が恵まれていると実感し今の生活を大切にするためにカンボジアに行きたいと思っていました。しかし今はこの考え方がとても上から目線な考え方だなと思います。自分は恵まれているけど、カンボジアの人は恵まれていなくて可哀そうと言っているような気がするのです。それは自分が勝手に経済的に恵まれている日本人は幸せで、恵まれていないカンボジアの人たちは幸せではない、と考えていたからだと思います。しかしその考え方は大きく間違っていました。カンボジアの人たちはどの場所に行っても笑顔で私たちを受け入れてくれました。それは日本人にはなくてカンボジアの人たちの素敵なところだと思います。このツアーで出会った沢山の子どもたちや、ホームステイを受け入れてくださったホストファミリーを見てもすごく幸せそうでした。それらを見た時に幸せっていうのは貧しさなどとは全く関係ないんだなと思いました。それは何を重要に思っているかが違うからだと思います。人はどうしてももっと偉くなりたい、権力が欲しい、お金が欲しいと思います。だから今よりも過去や未来を見がちです。だけど結局未来を作っていくのは今で、今をどう過ごすかによって過去が作られるのです。だから今を楽しむ、今を精一杯生きることはとても大事なことだと思います。カンボジアの人を見ているとそのことを教えてもらっている気がしました。だからお金、権力、地位が無くてもすごく幸せそうに暮らしている人がカンボジアにはたくさんいて、逆に裕福な暮らしをしていても幸せと感じていない日本人もいるのだと思います。それは考え方次第だなと思いました。今を大事にしながら生きるというのは難しいことだと思うけど、それができているカンボジアの人たちは本当にすごいなと思いました。

私はカンボジアのスタディツアーを通してカンボジアに対して大きな偏見を持っていたのだと実感しました。実際にその場所に行って自分で体感したり、当事者に話を聞いてみないとインターネットやニュースだけでは分からないことが沢山あるんだなと思いました。これはカンボジアだけでなく他のことでもいえると思います。国同士で起こっている問題や身近なことなども実際に行動しないと表面上のことしか見えず内側に秘められているものは見えないと思いました。私はカンボジアに行ってたくさんのことを学んで考え方も変わりました。このような学ぶ機会を作ってくださった学校、また私をこのツアーに選んでくださった先生方に本当に感謝しています。この貴重な体験の中で感じたことはこれから先も絶対に忘れずに生かしていきたいと思います。 (M)