上智福岡中学高等学校

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2025年1月8日

3学期始業式 校長訓辞

 皆さん、新年明けましておめでとうございます。このお正月はいかがだったでしょうか。正月と言えば初詣に行った人も多いと思います。カトリック教会で元旦のミサに必ず読まれるのが旧約聖書の神様がモーセに告げた祝福の祈りです。この祈りを聞くとこれから始まる一年の間、いつも神様は共にいて守ってくださり、平安を与えてくださると思えて力が湧いてきます。神様がこの一年私たちみんなを守ってくださるように、またこれから受験を迎える高校3年生の上に多くの恵みと平安が与えられますように、この短い祈りを捧げます。


 「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられますように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜りますように。」(民数記6.24-26)


 ところで、2学期の終業式ではジムとデラが互いに一番大切な宝物を相手に捧げた「賢者の贈り物」のお話を紹介しました。そして、息をするが如く隣人になることを目標にする私たちが、どれだけ人を線引きせずに、泣く人とともに泣き、喜ぶ人とともに喜ぶ友になれているか、どれだけの愛を人に示すことができているのかを振り返りました。では、そもそも愛とはどのようなものでしょう。意外と言葉にするのは難しいものです。今日から始まる3学期を前に、「愛の讃歌(コリント一 13.2-5)」と呼ばれ愛の形を明確に示している箇所を読み、共に考えてみましょう。まず、前半ではこのように言っています。

 「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない。」

 ここでは、何事にも愛を込めることの大切さが語られ、全財産を貧しい人に使うとか、わが身を死に引き渡すなどの大変な犠牲でさえも友と思って行うのでなく、自分のため誇るために行うのでれば無に等しいと断言しています。隣人あるいは友と思って行うのは愛を込めることと同じです。そして友と思って行うことはどんな小さくても偉大な行為となるのは、マザー・テレサも「いかにいい仕事をしたかよりも、どれだけ心を込めたかです。」と言っているとおりです。そのとき私たちは息をするが如く隣人になっています。続いて後半を見てみましょう。


 「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。」


 心に響く強い言葉です。さらに、この聖句の主語を「わたし」に置き換えると一層心に響くはずです。愛とは何か、友、隣人になるとはいかなることか、自分は人をどれだけ愛せているかが明確になります。やってみましょう。
 「わたしは忍耐強い。わたしは情け深い。わたしはねたまない。」となります。人を愛するとは、まず忍耐強くあることといっていますが、これは語源的には腹を立てるのが遅いという意味だそうです。続いては、情け深く泣く人とともに泣き、喜ぶ人をねたむことなくともに喜ぶことと言っています。考えてみれば、人を線引きする人は、嫌いな人の悲しみを喜び、喜びをねたむものです。ですから、人の気持ちに寄り添えているのか、それとも怒り、ねたみをいだいているのかは愛のチェックポイントと言えそうです。
 次に「わたしは自慢せず、高ぶらない。わたしは礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。」と言っています。ここでは、人を愛するとは謙虚であり誰にも敬意を示すこと、利己的な利益を求めないこと、さらに人に嫌なことをされてもイライラや恨みをすぐにそして永久に忘れて根に持たないこと、これが人を愛すること、言葉を変えると友、隣人になることだと言っています。愛することの概念を押し広げられた人が多いのではないでしょうか。

 では最後に、改めて自分が人をどれだけ愛せているかもう一度確認してみましょう。「わたしは忍耐強い。わたしは情け深い。わたしはねたまない。わたしは自慢せず、高ぶらない。わたしは礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。」こんな「わたし」と今の自分とを見比べると、自分の至らなさを感じずにはいられません。しかも、怒りや、イライラ、恨みなどは、すべて周りの人たちにぶつけている至らなさであり負い目です。なんだかため息が出てきそうです。でも、がっかりしないでください。こんな至らないわたしたちをそれでも憐れみ豊かな神様はこの上なく愛してくださっているのもぜひ知ってほしいです。その愛の大きさを7世紀の東方教会の教父ニネベのイサクは次のように記しています。


 「あなたの愛は、わたしの負い目よりはるかに大きなものです。わたしの罪の数は、海の波の数すらささやかのものにしてしまうほどですが、わたしの罪を天秤にかけてあなたの愛と比べるなら、それは何もなかったように消えてしまいます。」


 私たちの至らなさをこれだけないこととしてくださる神様の愛の大きさを知れば知るほど、わたしたちも人の至らなさに寛容になり、怒り、いらだち、恨みを超えて忍耐強く人を愛することができるようになるのだと思います。

 
 さあ、今日から3学期が始まります。毎日のどんな些細な事にも愛をこめて行っていきましょう。何事も友と思って行いましょう。至らない自分を神様がどれだけ愛してくださっているかを思い出して、息をするが如く隣人になりましょう。そうすれば今学期の終わりには今の自分よりも「わたし」らしい自分に出会えるはずです。皆さんのそんな成長を楽しみに見守ってまいります。今学期も頑張っていきましょう。これで学期初めの話を終わります。