3月1日(土)に76期高校3年生の卒業式が行われました。天候に恵まれ、素敵な式となりました。
以下、学校長の訓辞です。
76期の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業を心よりお祝い申し上げます。皆さんは今日をもって6年間の思い出の詰まったこの学び舎を後に新たな未来に向かって旅立ちます。それぞれに進む道は違えども、皆さん一人ひとりがこの学校で学んだすべてのこと、中でもこの学校でこそ学べた本当の幸せを生きる智慧を活かして、他者のために他者とともに本当に幸せな人生を歩むこと願っております。
振り返ってみれば、ここでの皆さんの6年間はコロナ抜きには語れません。入学した年の暮れからコロナの爆発的感染が始まり、学校は3月2日から5月28日の段階的開校まで休校を強いられました。7月には福岡市の学校初のクラスターが中2で出て臨時休校となり、以来サマーキャンプも語学研修も他の学校行事もすべて中止となりました。ようやく高1で3年ぶりの体育祭文化祭を制限付きながら行い、コロナの軛から高2の5月に完全に解放されるまで足掛け5年もかかりました。この間私たちは命を脅かす目に見ないウイルスへの恐怖と様々な行動制限に晒され、できたはずの多くのことが奪われるつらい経験をしました。
そんな中、今でも忘れられません。皆さんが中心となって作り上げた高2の文化祭「暁光」、そして最後の体育祭「心絆(こころ)」は何の制約もなくできました。これがどれだけ恵まれていて有難いことかと、その幸せを噛みしめたものです。同じ恵みをコロナ前は当たり前としか感じていなかった私たちが、コロナで多くを奪われたとき、初めて恵みを正しく恵みと認識し、幸せと感じられるようになったのです。イエス様は「心の貧しい人は幸いである」とおっしゃっています。貧しくて何も持っていなければ、頂くすべてを有難く受け取ります。心の貧しさはそのような心持で、清貧さ、あるいは謙虚さという言葉に言い換えるとわかりやすいでしょう。コロナ前、幸せを感じるこの心の貧しさに欠けていた私たちも、コロナに多くを奪われ否応なしに貧しくされました。おかげで「本当の幸せは恵みの多さにではなく、恵みを有難いと受けとる心の貧しさにある」という智慧を学べたのです。物事を有難いと思うか、不満に思うかは他でもなくすべて自分次第なのです。そして感謝は自分を幸せにし、不平不満は自分で自分を不幸せにしてしまいます。明日からの日々、この智慧を活かして本当に幸せな人生を歩めるように、何事にも感謝を心掛け、心の貧しさを失わないようにいたしましょう。
ところで、コロナからの恵みはもう一つあります。イエス様は「悲しむ人は幸いである」ともいわれました。どういう意味だろう、と考えさせられますが、私たちは確かに思い出すのも嫌なほどの辛い体験をコロナ禍でしました。しかし心痛み悲しんだ分だけ、幸い人の痛みや悲しみがわかる人になれたはずです。試しにロシアの侵攻を今日も受けているウクライナの人々に思いを馳せてみましょう。人々はいつ攻撃されるかわからない恐怖に晒され不自由を強いられています。しかもそれがもう3年も続いています。これを、中1から高2までの辛い思い出と重ね合わせてみてください。コロナの日々がどれだけ長く陰鬱だったかが蘇る
と心が疼くでしょうし、その心の疼きはウクライナの人々の辛さにも通ずるものなのです。さらにウクライナでは身内が前線で戦い、負傷し、亡くなったり、、家が破壊され、故郷が占領されて避難を余儀なくされている方もおられます。その痛みや悲しみに心が疼く時、これを何とかしなければという思いに駆られるはずです
。
「悲しむ人は幸いである」と言われたイエス様はその後に「その人は慰められる」と言葉を続けます。では、誰によって慰められるのでしょうか。私たちの痛みや悲しみはそれをわかってくれる人からこそ慰められます。であれば、私たちがわかってあげられる人の痛みや悲しみは私たちこそが手を差し伸べて慰めるのではないでしょうか。
このように、コロナによって私たちは人に優しくなれる恵みと、隣人となって悲しむ人を慰める素地を頂いたのです。この恵みを時とともに失わないように、心の疼きを感じたら、迷わずにその時できる助けの手を差し伸べましょう。たとえ大変であっても、それができた時には人としてするべきことができた時の心の奥からの喜びを感じるでしょうし、助けた人の喜びと笑顔を見た時には何にも勝る幸せを感じるはずです。これこそが皆さんの母校が何よりも伝えたかった隣人愛という本当の幸せを生きるもう一つの智慧です。卒業生の皆さん、心の貧しさと隣人愛、この二つの智慧を魂に刻んで、感謝を忘れず、泣く人の悲しみに涙を流し、喜ぶ人とともに喜ぶ人生を歩んでください。皆さん一人ひとりがおかれた場所で人びとを幸せにし、その人びとともに本当に幸せな人生を歩んでいくことを切に願って、卒業に当たっての餞の言葉とさせていただきます。改めまして、心よりご卒業おめでとうございます。