上智福岡中学高等学校

Weekly "Sophia Fukuoka" Information今週の上智福岡

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2019年4月24日

思索の時間

上智福岡では毎日昼休み終了後に15分間「思索の時間」を実施しています。イエズス会のExamen(毎日の振り返り)をモデルとして、生徒たちには毎日の自分の行動や生き方を見直してもらっています。この「思索の時間」では自分自身を振り返るきっかけとして、毎日放送で担当の先生が短いお話をしています。今日はその放送内容を載せます。

ヨハネによる福音書12章24節~26節
「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者はそれを失うが、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る。」

新学期が始まった頃には、花びらが残っていた桜の枝も、緑の葉にすっかり覆われ、日に日にその色を濃くしています。今日の聖書の言葉では、「実り」を得るには、「死ぬこと」が必要だと言っています。もちろんこれはたとえですから、ここでは「実り」や「死ぬこと」がどんなことをたとえたものか、考えてみたいと思います。春、さまざまな命が活発に動き始めるとき、私たちも新しい一年の始まりを迎えていますが、自然界の命がやがて実りの時を迎えるように、私たちもこの一年をどのように歩んで行くかを考える機会になればと思います。

みなさんは今、教育を受ける立場にいますが、では、教育者とは誰のことだと思っていますか?学校の先生でしょうか、それよりも、お父さん、お母さんでしょうか。確かに小さいときにはそうです。みなさんが生まれてから今まで、どれだけ多くのことをまわりの人たちから教わってきたでしょうか。しかし、みなさんのように自分のことがそれになりに自分でできるようになるまで成長した後なら、皆さんの教育者は皆さん自身です。

教育の基本は生活態度にあると思います。生活の中でのけじめ、辛抱強さ、我慢ができる力が身についているかどうかということです。たとえば、誰にでも気持のいいあいさつができるか。自分のことをちょっと後回しにして、人に譲ることができるか。思いやりのある態度をとることができるか、などです。

皆さんが自分を振り返ってみて、辛抱強さが足りないことに気づき、このまま大人になったらたいへんだと、ことの重大さを痛感して、訓練によって直すことのできる人は、あなた自身を除いては他に誰もいないのです。だらしない生活にけじめをつけ,遊びたい気持ちを押さえる自制心は、あなたの日常生活の中で、自分と闘うことによって少しずつ育ってゆくのです。どんなに才能に恵まれていても、辛抱がなければ、その能力を発揮できないものです。結局、「実り」とは、こうして自分を育てていった結果得られるものなのではないでしょうか。そして、「実る」ためには、自分にとって都合のよいことだけではなく、不都合なことや、嫌なことも必要で、それらを通して自分を鍛えてゆくこと、自分のわがままと戦うことが、毎日の生活の中での「死ぬこと」なのではないかと思います。

あなたの最大の教育者は、今ではあなた自身です。親にせよ、先生にせよ、皆さんが向上しようと努力するときに初めて手伝うことができるのです。責任は自分にあります。私たちは弱い人間ですが、私たちのそばには、神様がついていてくださいます。さきほどの聖書の言葉はこのように続いています。「わたしに仕えようとする者はわたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる」。私たちが神様のことを思い出すことさえできれば、くじけそうになるときも、自分は神様から大切に思われているのだと安心して、自分を大切にするにはどうしたらいいかを考えることができるでしょう。もっと美しく生きることができるように、自分にうち克つ努力をしていきたいと思います。