新型コロナウイルス拡大のために休校期間が長くなっております。
学校の方でもスタディサプリの導入や、Google Classroomの活用が始まっています。
でもやはり学校という場は生徒と教員が共同体として顔を合わせることで、1+1=2以上の化学反応が起きる場だと思います。
早く学校が再開し、普段の日常が戻ってくることを願っています。
そんなコロナによる困難の中、外に目を向けると自然は何事もないかのように移ろっていきます。
ちょっと見ごろはすぎてしまいましたが。
鬼除けならぬコロナ除けにならないでしょうか。
つつじも見ごろでした。
せっせと蜂が仕事をしていました。
自分の役割に誠実に向き合う姿は見習う必要があるかもしれません。
中央棟正面のチャンチンの木もきれいな紅色に染まっていました。
人間社会のバタバタのことはお構いなく、自然は移ろっています。
今回の写真はGW前のものです。GWが過ぎると風景も全く変わっていました。
このような季節の移ろいを目にすると次の聖書箇所が浮かんできます。
「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時 植える時、植えたものを抜く時 殺す時、癒す時 破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時 嘆く時、踊るとき 石を放つ時、石を集める時 抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時 保つ時、失う時 裂く時、縫う時 黙する時、語る時 愛する時、憎む時 戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることはゆるされていない。」(コヘレトの言葉3;1-11)
今は耐える時。しかしいつまでもそれは続かない。やがて喜んで外に出て人と関わり、安心して過ごすことのできる「時」が来ます。それを信じて今の時を過ごしましょう。