上智福岡中学高等学校

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2020年7月6日

思索の時間、再開‼

 

昼休みの後に行われている「思索の時間」が先週から再開しています。

今日は木曜日の思索の放送の内容になります。

 

思索の時間を始めます。カレンダーでは7月に入りましたが、学校での一斉授業が再開されてからはまだ一か月ほどです。中学校一年生の皆さんだけではなく、上級生の皆さんも、クラス替えがあったり、担任の先生や授業担当の先生が替わったりして、まだまだ緊張している人がいるかもしれません。この思索の時間は、自分と向き合う時間です。一日に一度、沈黙の中で、心を静めて過ごすこのひとときを大切にできればと思います。

では、新約聖書6ページ マタイによる福音書5章3節を開いてください。

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人のものである。」


今日の聖書の言葉は、「真福八端」と呼ばれている箇所の一節です。「真福八端」は、真実の「真」、幸福の「福」、八つのことがらが述べてあるので、数字の「八」と「端」という字を書きます。このあとに続く、八つの、幸いだといわれている人々とその理由を読んでみると、なるほど、と思うものもあれば、逆なのではないかなと思うものもあるでしょう。

今日は、最初の「心の貧しい人々は幸いである」という言葉について考えてみたいと思います。一般的に「心が貧しい」とは、ケチだったり、心が狭かったりする人のことを言います。しかし、イエスが言われる「心の貧しい人」がそのような人のことではないのは、あとに続く「天の国はその人のものである」、天国に入る人々とはこのような人たちなのだ、という言葉からわかります。それなら、「心の貧しい人」とは、どんな人なのでしょう。一つは、自分の心の貧しさを知っている人のことです。自分に足りないところがあると知っている人、自分の欠点に気づいている人のことです。そのような人は、まず、感謝することを知っています。自分には欠点もあるけれど、でも、よいものも持っていることにも気づくことができるからです。たとえば、命、健康、才能、性格、家族、友だち、など。そして、それは自分への神様からの贈り物だと知るからです。

それから、もう一つ、「心の貧しい人」とは自分の中に他の人のための居場所をもっている人のことだと思います。わたしたちは、どうしても自己中心的になるものです。「人の痛いのは三年でも我慢する」ということわざがあるように、わたしたちは他人のことならいつまでも我慢できます。しかし、自分のことになるとそうはいきません。「自分の時間、自分の趣味、自分のお金、自分の都合」で自分の心がいっぱいなら、心の貧しさ、他の人を受け入れる心の空間がなく、他の人は私たちの心の中には居場所がないのです。

私たちは一日の時間をすべて自分のために使ってもなんとも思わないし、自分のお金を自分のために使うのは当然で、他人のためには使いたくなという気持ちもあります。でも、そういう気持ちを振り返って、心の中に誰か他の人のための居場所を作ることはできないでしょうか。

以前勤めていた学校で、そこはこの学校と同じカトリック・ミッションの学校でしたが、一か月に一度、お昼のお弁当をおにぎり一つにする、という活動をしていたことがあります。生徒会が始めた活動でしたが、始まりは、ヨーロッパで、クリスマスやお誕生日などごちそうを準備する日に、一人余分の席を作り、ごちそうを食べられない子供たちや苦しんでいる人たちに思いを寄せ、実際にその日食べるものに困っている人がいれば、その席に招く、あるいは支援のための募金を送るという運動があるのを、生徒たちが知ったことだったと思います。おにぎり一つでは心配だと思った食べ盛りの中学生のお母さんたちの中には、大きな大きなおにぎりをもたせてくれるお母さんもいらっしゃいましたが、いつものお弁当とは比べものにならないお昼の時間を過ごしながら、一人ひとりが、飢えや暑さ寒さ、住むところがない、十分な医療が受けられないといった境遇にある人々の苦しみを分かち合おうとしていました。たったそれだけ、と思う人もいるでしょう。思っている相手に伝わることもないだろうにと思う人もいるでしょうか。でも、ほんの少しの空腹をがまんしながら、今、自分と同じ時代にこの地球に生まれてきたのに、たまたま生まれた場所が違うだけで自分とは比べものにならない苦しみを背負っている人がいることを想像することによって、心の中に誰か他の人のための場所を作ることができたのではないかと思います。そして、その思いやりは、周囲の人にも向けられていくことになるはずです。このように考えると、心の貧しさは「愛」を心に持つことと同じです。私たちは愛する人、大切に思う人のためなら自分の心の中にしっかりとその人のための場所をとっておくのですから。

「心の貧しい人々は幸いである」。自分の不足を知り、自分に与えられたものに感謝し、心の中に、自分を含め、家族や友人、周囲の人たち、苦しんでいる人たちへの愛をもって生きている人、その人が幸せでないはずはありません。