上智福岡中学高等学校

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2021年1月7日

クリスマスのメッセージ

新年おめでとうございます。2021年もどうぞよろしくお願いします。

明日から3学期が始まります。

さて昨年は新型コロナウイルスによってさまざまな影響を受けた一年でした。

今年は少しでも良い年になればと思います。

さて、昨年のことにはなりますが終業式には例年クリスマス式典を一緒に行っています。

今回のクリスマス式典には福岡教区の教区長ヨセフ・アベイヤ司教様がお越しくださいました。

全校生徒が集まることはできませんでしたが、放送を通してクリスマスのメッセージをお話しいただきました。

このクリスマス式典は主に聖書研究会の生徒たちが準備してくれます。
第一朗読のイザヤ書は高校1年生が読み上げてくれました。
福音書のイエスの誕生物語は高校2年生の担当です。

間奏として流れたトーンチャイムは中学2年生と中学3年生が担当。事前に録音して準備しました。

なんだかクリスマスソングのCDのような完成度でした。

そしてクリスマスのメッセージはヨセフ・アベイヤ司教様からいただきます。

以下、アベイヤ司教様のメッセージです。

今読まれたイザヤの預言書のことばは、およそ2,600年前のものです。実際に、イエスが生まれる前の600年になります。

このイザヤのことばを聞いていた人々は、闇の中にいました。当時の大国であったアッシリアの支配下で、すごく苦しんでいた人々でした。朗読の中にあった「負っている軛」、「肩を打つ杖」、「虐げる者の鞭」ということばを通して、彼らが体験していた圧迫は語られています。あの苦しい状況の中で、神様に救いを求めて切実な叫びをもって、祈っていました。預言者イザヤから、この救いが与えられる時が来たと聞いたときに、光が見えてきたでしょう。朗読されたことばの中できれいに語られています。「闇の中を歩む民は大いなる光を見た」と。

ただ、大事なところがあります。救いは、力によって訪れるものではない、幼子を通して実現されると告げられています。神様は、「この世」の物の見方、価値観をひっくり返すのです。実際に、この約束はクリスマスの祝いに繋がります。

私のスペインの故郷では、クリスマスが近づくと、イエスが生まれたところの風景は様々なところで再現されます。ベツレヘムの町とその近辺、羊飼いたちが羊の群れの番をしている場面、イエスが生まれた馬小屋と、マリアとヨゼフに見守られて飼い葉桶に寝かされているイエス様などです。教会ではもちろんですが、町の広場、学校、また、それぞれの家で「PRESSEPIO」(馬小屋)と言われているものはきれいに飾られます。

家族で、この作業をしながら、親は子供たちにクリスマスのストーリーだけではなく、クリスマスの大事なメッセージを伝えます。そして、12月の24日の夜は、教会から帰って、この馬小屋の前に、クリスマスの歌を歌って家族で楽しいひと時を共に過ごすのです。

先に読まれた福音書に様々な人が登場しています。ローマ皇帝アウグストス、シリアの総督キリ二ウス、ヨゼフ、マリア、天使、羊飼いたち等です。今は、羊飼いたちのことを特に心に留めたいのです。彼らは、羊の群れの番をしながら、その夜何を話していたのでしょうか。寒い時期だったので、たき火を囲んで話し合っていたでしょう。「大変だ。厳しい生活だ。ずっと野宿しなければならいし、給料も安いです」。「神様はわたしたちのことを忘れられたのでしょうか」。お互いに悩みを分かち合って、慰め合っていたでしょう。その中で、社会の様々な不正がなくなり、一人ひとりが尊敬される日が来ることを心から待ち望んでいたことに違いありません。

聖書によると、突然羊飼いたちが集っていたところにすごい光が輝きました。天使が現れて、「あなた方に、まだ誰にも知らせてない、すごいニュースを伝えに来ました」と述べたのです。羊飼いたちは、驚いて、まず恐れたのです。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町にあなた方のために救い主がお生まれになった。この方は、主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう」と天使は羊飼いたちに告げた。

信じがたい知らせでしたが、羊飼いたちはベツレヘムへ出発しました。苦しみの中にあった彼らは、「救い主」ということばに魅了されたでしょう。べツレヘムに着いたときに、馬小屋に入って、天使に言われた通りに幼子に出会った。きっと彼らは、その時まで、神様をあんなに身近に感じたことがなかったでしょう。彼らは、飼い葉桶に寝かされていた赤ん坊を通して、神様に祝福されたと感じて、感動を覚えたに違いありません。

クリスマスの喜びの源泉はここにあります。神様を本当に身近に感じることが出来ます。あの赤ん坊のほほえみを通して、わたしたちに語り掛ける神様は、大事なことを示してくださいます。救いへの道、平和への道、幸せへの道は、力によるものではない。へりくだりと愛によるものです。こういう真実を人生の土台にするときこそ、平和に満ちた世界が実現され、一人ひとりの人間の尊厳が認められるのです。人を引き寄せるのは、力や富ではなく愛と慈しみなのです。

クリスマスの祝いのうちに神様に触れることは、何人かの特権ではないと示されます。馬小屋というところに、誰でも入ることが出来ます。必要なのは、「入りたい」ということだけです。うぬぼれている人々には不可能です。

クリスマスは、神の愛の神秘を味わう時と同時に、人間の尊さが証明される日です。神は、人間となって私たちと共にいてくださる。だから、喜びと希望の日です。

「天には神に栄光、地には人々に平和」。クリスマスを祝うことによって、わたしたちは、平和を味わい平和のために働く者になることを祈りたいものです 。

ヨゼフ アベイヤ

 

新年を迎えましたが私たちもこのクリスマスのメッセージを心にとめ、自らの生活を良い方向にむけていきたいと思います。