皆さん、おはようございます。博多の街では祇園山笠も終わり、梅雨明けも近づき、待ちに待った夏休みが始まります。中学一年の皆さんにとっては、入学式直後からのオリエンテーション合宿も、6月の体育祭も、部活動も、そして定期考査もすべて初めての体験でしたね。その中で少しずつ上智福岡生らしさは身に付いたでしょうか。
さて、今年度の学校目標は「息をするが如く隣人になれ」ですね。実はこれは「己を愛するが如く汝の隣人を愛せ」というイエス様の言葉を土台にさせていただいてます。1学期を終えるにあたり、この目標をどれだけ実行できたかしばし振り返ってみましょう。
まず、「息をするが如く隣人になれ」の一番のポイントは、「この人は隣人、あの人は違う」と人に線引きをするのではなく「どんな人であれ私は隣人になる」、つまり条件付きで人を愛するのか無条件で愛するのかの生きる根本姿勢の違いです。私たちは一人ひとりが成績や態度の良し悪しに関係なくありのまま無条件で神様に愛されています。しかも「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ女たちが忘れようとも、私があなたを忘れることは決してない。」(イザヤ49.15)と言われるほど大切なものとして愛されています。そんな私たちだからこそ、無条件で人を愛するように招かれていますし、実際に皆さんも1学期無条件で人を愛することは、学校の中でもたくさんあったのではないでしょうか。
たとえば、体育祭でダンスやパネルなど指導をした指導員を思い浮かべてみましょう。指導員の先輩たちは、担当する後輩を自分の好みで選べたわけではありません。練習の初顔合わせで会ったメンバーの中にはノリや呑み込みのいい子もそうでない子もきっといたことでしょう。練習も続くと疲れもたまりダレても来ます。先輩をイラつかせる人もいたはずです。でも指導員たちは絶えず「今の最高だったよ、次はもっと頑張ろうね」と上手下手の分け隔てなく後輩たちを明るく励まし息をするが如くその子の隣人になりました。これは無条件の愛です。時には先輩たちは心の中で「はぁ」というため息や「ちっ」という舌打ちをつくこともあったはずです。マザーテレサも「痛むほど愛しなさい」とおっしゃってますが、実は無条件の愛にはため息や舌打ちが伴うのです。苦虫かみつぶしたような顔をしたくもなったことでしょう。それでも先輩たちは後輩たちの前では笑顔で励ましていました。まさに息をするがごとく、その心の痛みを悟られずに隣人となっていたのです。
では、皆さんも今座っている教室で息をするが如く隣人になれましたか。皆さんの周りには4月から共に生活を始めたクラスメイトがいますが、お互いに相性が合うという条件でいっしょになったわけではありませんから、当然相性の合わない人もいます。その相性が合わない人への接し方を振り返ってみると、人に線引きをしているか、無条件で愛しているのか、自分の今現在の根本姿勢が見えてきます。声かけをしたことがない、無視する、場合によっては不快な思いをさせることがあれば、人を線引きしているかもしれません。柔和な顔で過ごし、誰にも分け隔てなく挨拶をし、やさしい言葉かけや気配りができたとすれば相性が合わない人をも無条件で愛して隣人になれたといえるしょう。中には、挨拶したのに無視されたり、助けたつもりなのに報われなかった人もいるかもしれません。でも、がっかりしないでください。先ほど言ったように無条件の愛にはため息や舌打ちがつきものです。しかも、実はそんなあなたは天に宝を積んでいます。「はっきり言っておく。私の兄弟であるもっとも小さい者のひとりにしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25.40)とイエス様はおっしゃってます。これからも喜んで無条件の愛で隣人になりましょう。
さあ、いよいよ明日から夏休みです。高校3年生は受験勉強とともに、どの大学で来年度からいただいたタレントを伸ばし、世の中、世界の中で貢献するのか、この自分探しにも励んでください。高2、高1の皆さんはオープンキャンパスや大学説明会にいったり、カンボジアステディーツアー、能登地震被災地復興支援などのボランティア、トビタテといった留学などさまざまな活動をする人がいると聞きます。中3はサマーティーチングプログラムや日本文化体験、中2はサマーキャンプが待ってます。すべてが新たな人たちと出会い、自分の視野を広げるまたとない機会ですし、どこまで無条件に出会う人たちの隣人になれるかを試される場ともなるでしょう。健康と安全には十分気を付けて夏休み明け元気に学校に戻って来てください。一回りも二回りも上智福岡生らしく成長した皆さんに2学期会えることを楽しみにしております。一人ひとりにとり素晴らしい夏休みとなることを心から祈って終業式に当たっての話を終わります。